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我が家から歩いて10分程の所にその稽古場はあった。恐る恐る覗くと、既にプロデューサー氏は来ていて、汚れた復員服(外地から引き揚げて来た人達が着用していた元軍服)姿の髭の濃い中年の男性と、声をひそめてなにやら難しい話をしている様子。よほど重大な話とみえて、その中年の男性は眉間に縦皺を寄せて、天井を睨んでいる。
「おはようございまあす」出来るだけ明るく大きな声で、元気よく引き戸を開けて室内に入った。「おはよう!」「おーす」と次々とキャスト・スタッフの連中がやってくる。いずれも、今日初対面という人達だ。
全員が集まったところでプロデューサー氏がキャストやスタッフを一人一人丁寧に紹介し始めた。「こちらは最近満州から引き揚げてこられた森繁久弥さんです」。えっ、あのおじさんが森繁さん?あの眉間に縦皺の中年のおじさんが森繁さんだったのだ。
「今、今回のドラマの主役をお願いしている所なんですが、色々事情がありましてまだご返事が戴けないという状態であります」
そうか、森繁さんと一緒に旅興行に出られたら、さぞかし色々と演技論も伺うことが出来るだろうし、同じ舞台を踏むだけでも得る所が大きいぞ!と一人胸算用してニヤニヤしたが、結局これは夢で終ってしまった。森繁さんは、新宿ムーランルージュの一座に参加する事になったからだ。遠矢プロデューサーの企画は、主役が決まらず敢え無く潰えてしまった。
かくして僕は又浪々の身となって、新宿・浅草の興行街に出かけては芝居を漁って観る生活となった。そんなある日、夕刻我が家に帰ると一通の電報が来ていた。当時まだ家庭用の電話はなかなか手に入らず、電話局に申し込んでも二年三年と、待たされてやっと引けるという状態。従って緊急の連絡は電報が利用されていた。緊急の連絡、一体何なのだ。騒ぐ胸を押さえて開けてみる。「シキュウテレコウ、エヌエイチケイ、エンシュツブ、コンドウ」とある。メモと鉛筆を持つと近所のタバコ屋の公衆電話めがけて僕は脱兎の如く駆け出した。
幸いコンドウさんはデスクに居てすぐ連絡が付いた。「いやぁ突然ですみません。今、次の作品のキャスティング中なんですが、清水元さんからあなたと会ってみたらどうかという推薦がありましてね、それで御連絡したわけなんですが、一度こちらにお越し願えますか」
「ハイハイ、オコシ、いやお伺いします」
NHK演出部でお会いする約束を交わすと、夕日が沈む街を背に我が家に向けてとんで帰った。
清水元さんは、東宝演劇部でご一緒した名脇役。つい先日まで半年以上同じ釜の飯を食った大先輩だ。NHKに出演中、プロデューサー氏から相談を受けたら、すぐに僕の名を挙げてくれたのだ。先輩は大事にしなくっちゃね。ちなみに清水元さんは、後に僕と一緒に仕事をする事になる「鉄腕アトム」の清水マリさんのお父さんである。
(つづく)
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