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NHK近藤プロデューサーからのお仕事は中国文学「水滸伝」で、そこに登場する一青年が僕の役であった。中国物だけに台本は漢字の洪水。諸葛亮孔明の出てくる戦記物である。「泣いて馬oを斬る」とか「臥薪嘗膽」などとやたら難しい漢字が出てくる。プロデューサー氏の言によればこういう厄介な仕事は勝田ならやってのけるだろうと、清水先輩が僕を推挙してくれたのだそうだ。では何としてでも期待にこたえなくっちゃ。
放送前日が読み合わせとリハーサル。翌日が生放送で本番。読み合わせの日出演者一同顔を揃えるとベテランの俳優さんばかり。二十代は僕だけ。ビビりそうになるところを叱咤激励して、朗々と声を発して挑戦。「うむ、なかなか若武者らしくていいね!」などと言ってくれる先輩の言葉に乗せられて、翌日の生放送の本番も無事終了させることが出来た。
この日以来、僕はラジオ放送の虜となった。こんなに楽しい仕事が毎日出来たらどんなにいいだろう。新劇の研究生の頃は、日常は研究生同士で選んできた戯曲の稽古だけ。東宝演劇部に参加できるようになってからは、キャスティングされ毎日舞台に立てるようになったが、東京公演が済んだ後地方巡業となり、何日も同じ芝居を演じ続ける事になる(僕の場合、六ヶ月)。そこへ行くと放送の仕事は笑っても一回コッキリだ。
オンエアの赤いランプが消え放送が終了した後の爽快感は何とも言えない。その上スタジオを飛び出し廊下に出れば、NHKのバッヂを着けたお嬢さんが待っていてくれて、出演者一人一人の名を読み上げて「薄謝 日本放送教会」と書いた封筒を手渡してくれる。喜びが二倍三倍というものだ。出演者達はNHKとは日本薄謝教会と言っていたが、貧乏新人の僕には涙がこぼれる程有り難いギャラだった。
この青少年向け番組をきっかけに、子供の時間や主婦の時間、社会教養の時間など、広い範囲から出演依頼があって、内幸町のNHK通いの生活が始まった。
そんなある日、「お疲れさまァ〜、お先に失礼します」と声をかけ帰ろうとすると「あっ一寸お話があるんですが……!」とプロデュサー氏から呼び止められた。「ま、食堂へ行きましょう」と五階の社員食堂に案内された。次の仕事の打ち合わせかな、とも思ったが、僕一人だけというのも変だ。態度が悪い!と叱られるのかな、などと学校時代に帰った気分。
「すみません、お急ぎのところ。要点だけお話します。近々NHKはテレビ放送を開始しますので、今実験局を準備中なんです。それに伴い俳優を確保したい。特に二十代の若手の人がいないので、勝田さん立候補してくれませんか。NHK専属俳優という事になるんですが……」とプロデューサー氏。「やったね、チャンス!!」と心中で叫んだが、極力渋い顔で「……ウーム、いいお話ですねェ……」此処でしばしの間、やがて決意したように「ハイ!有り難うございます。ぜひやらせて戴きます。挑戦させてください」とキッパリ。この演技は極めて有効であった。プロデューサー氏はニッコリ笑うと「いやあ、そうですか、あの……早速部長に報告しておきます。……あの言い忘れてましたが、公共放送のNHKですから、一応一般募集の形になりますんでラジオで募集案内をかける事になるんですが、あまり気になさらずに、気楽に参加して下さい」
それから間も無く、NHKラジオから連日、日に何回もラジオテレビで活躍する新人を募集という案内が放送され始めた。新聞までが記事で紹介する。
僕はラジオの仕事で毎日のようにNHKのスタジオに通いながらも、とても気楽な気分ではいられなかった。
(つづく)
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